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Houshakuki

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勉強堂から夢やへの界隈

 「午後の五時」をリフレインしたロルカにならって、この部屋にいる日には、正午過ぎからしばしば時計を見、その時には至らぬことを繰り返し確かめる。

 幾度となく念入りに気にしていながら、「午後の、きっかり五時」にはついあらぬことを考えていて、またしても心の臓が飛び上がるような目に遭うのだ。

 その音響は、この部屋にあっては、頭上から直撃する爆烈音のように轟き渡る。

 音源がどこであるのか、住みついて一年弱にもなるのに、俺は未だにしっかりとは確認していない。
 だが、おそらくは二百メートルほど離れてある小学校の校舎の、給水タンクやらをを乗せている屋上、その屋上の端に立つひときわ高い灰色の櫓、あれがそれらしいとは、見当をつけている。
 あれに匹敵するらしい建造物は、他に見当たらないからだ。

 それにしてもこれだけの距離がありながらと、俺はしばしばあの轟きを思い起こしながら、灰色の塔を、もうこれまでに幾度となく歯を軋ませる気分で眺めている。

 音響というのは、新世界の、あの「家路」という、唱歌でなじんだメロディなのだが、どんなPA装置を使っているものやら、突如として炸烈するウルトラ・フォルテシモは、かけね無しに仰天のショックを浴びせるのだ。

 たかがワルガキを校庭から追放する方策のためばかりだとしたら、ケタ外れにすぎる音量だ。

 付近の住人が、よくぞこの音響に連日耐えられるものだと、不思議でたまらない。
 この界隈には、最後の務めを果たしつつある、心の臓を抱えていると見受けられる年寄が、実に多いのだが。
 かの人々にとってあの音響は、俺などよりはるかにシビアにコタえるはずではないか。
 家路へと誘うどころか、昇天を強いるような響きを、町内会(というものが、何なのか、実はよくわからないのだが)が、放置しておく気がしれない。

 あるいは、町内会の会長たる仁は、老いたる舅か姑か、はたまた、昔の愛人かに、長年にわたって悩まされている人、なのかもしれない。そんな妄想が生まれるほどの口惜しさ、しばしば。

 アダシゴトはさておき、それも正午から繰り返し、その時に向けて心構えをあらたにしながら、まさにその時には、何かに気を取られている、その口惜しさ、歯がゆさ、腹立たしさ。

 「午後の五時、午後の五時、午後の、きっかり五時」、であることは、かさねがさね言い聞かせておきながら、俺は今日もショックで畳から数尺ほど、体がはじき飛ばされたのである。

 地下にねむる作曲者とても、多分、身ぢろぎぐらいはしているだろう。

 市中にしては珍しくも、近隣で鶏を飼っているらしい啼き声を聞くことがあるが、あれらが毎日、ひねもす一個の産卵をしているとは思うことができない。

 俺はこんな素っ頓狂な刺戟にはまるで抵抗力が無いのだ。
 心の臓がバクバク、夢食うアニマル獏なのか、もしくは爆々か漠々なのか、額から油汗が吹き出した。
 俺は病気になった。

 真夜中、復活して、飯を食う気になった。
 多少涼しくなったから、でもある。

 外で飯を食うのには、気が重たく、ないことは無い。
 酒を飲むであろう、背中が痛くなるであろう。
 肝臓だか、膵臓だかが半壊しているのだ。
 で、錠剤を飲んで出る。
 こんなにまでして、なにゆえに酒を飲むことになるのだろう。

 通ったことの、ない、通りを選ぶ。
 半壊しかけたような酒場や、八割がたを妖怪か狐狸化け物に貸し渡して、あとの二割がたを店にしつらえました、としか見受けられないような食堂しか無い、塵芥色をした通りだ。
 それでもなおかつ、通ったことのない通り、入ったことのない店というのが良い。
 フリの客であるのが、良い。

 通うにしろ、間隔を保つべきだ。そういう決まりを作っているが、それでヒドい目にあうこともある。
 余りにも日を置き過ぎて、それが、ゴキブリの巣のような店だったことを、忘れていたのだ。
 フリの客であるためには、記憶をしっかり保たねばならない。

 それにしてもあの店はスゴかった。カウンターをのべつまくなしに、複数チームのゴキブリが、同時に走り、しかも営業停止をくらっていない飲食店というものを、俺はかつて確かに実見したのだ。

 走り回るゴキブリを、指でヒネりツブし、カウンターからハジき飛ばして、平然としているという女も、実見したのだ。
 そのさまは、ひとむかしもふたむかしも以前のジャリどもが、ハナクソをハジき飛ばすような、まったく自然な動作だった。俺は、カウンターから身を離し、放心して、眺めていた。それからオズオズと聞いてみた。

 「・・・・・・・姉さん、昔は、マゴタロウムシというのを、子供の、カンには、ききめがあるっていって、食わせたそうだ。それから、どっかでは、ゴキブリも、マゴタロウムシと、おんなしに、食っていたって、いうのを、聞いたことないかい?」

 俺はマゴタロウムシのいかなるものか詳細については知らないままに、思わずそう聞いてしまった、モノのはずみで。この姉さん、そうした土地がザイショではないかと、瞬時思ったもので。

 「あら、いやだ。マゴタロムシ?・・・・・なあに、それ。ムシを食べるですって、キャッ、気持ちわりー。いやな人ねえ、食べものを前にして。そんな話をするなんて。まさかお客さんの、イナカのことじやあ、ないでしょうね?・・・・・・っていうか、昆虫食関係の先取り系?」

 お姉さんは、軽蔑した鋭い視線で、俺を正面からネメつけた。

 「お便所どう?・・・・・・このあたりのおみせは、共同便所よ。共同便所は、あたしひとりが毎日掃除をしても、誰かが汚してそのまんま。あら、もうお帰り???・・・・・・ほんじゃ、こんだけ。勉強しときます」

 俺が、大洪水あとのような便所から戻って、勘定を払おうとしたら、姉さんは、イタチのような目つきで、そう言った。
 勉強されたお代を、カウンターに置いて、俺は、完璧にシラフのままに外に出た。

 今度来たら、と、言って、まさか、そんなことがあるだろうか、『お便所、どう?』と聞いてから、便所に行こうかい、と、悲しいことをツブやいている、俺の背中は、丸くなっていただろう。シラフのくせに、足がもつれそうだ。

 『お便所、どう?で、お勉強、お便所、どう?で、お勉強・・・』

 つぶやけば、何だか、ああ、俺は、この界隈の通りに、ピッタリ、合いすぎるぐらいに、合っているのだろうか、と、つい思ってしまう。

 以来、その店には、いっていない。ひそかに、しかし、あの店を、勉強堂と呼んでいる。
 ケイセツ堂という古本屋と、青春堂というマムシ屋(うなぎ屋のことではない。本物のマムシの干物やら粉末やらを売る店と聞いた)に、はさまれた店だったから。

 今夜出向いた、この一見して、『ゴキブリ通り』的な、この通りの店には、ゴキブリはいなかった。
 ヤモリが出没しては、ゴキブリを食っているのかもしれない。
 しかしゴキブリもヤモリも見えないカウンターの中では、手の大きな美人が、ギョウザの皮を、こねては丸めているのだった。

 くすんだ色の店で、美人がせっせと働いているのは、小さな店の奥に深い世界が通じているようで、そこから少しは風通しがあるような気分になる。
 その広い世界というのは、暗い、幻のようなものだが、奥を開ければ生ごみが散乱している裏通りに、直ちにぬけでる気配があるよりはマシだ。

 実体の知れない、暗い、幻のにおいが、無いとすれば、その場合の、美人のドアイはタカが知れている。

 酔ってしまった感想は、しかし、信用がならない。
 酔って、ひらめいたる、ところを、メモし、翌朝読んだらひどかった。だから、暗黒の幻は、そうそうに切り上げて、ギョウザの、皮の粉のついた、大きな手の平に勘定を渡して、俺は再び外に出た。

 外に出てから、不意に思い出したことがあった。
 ・・・・・・そう、そう、そうだった、たしかに、どこやらの店で、聞いたことがあったっけ・・・・・。

 何とかいう、美人の、女装をする御仁の店のぎょうざが、近在では一番うまいという評判を。
 ハッとした俺のかたわらを、今まさに肩幅が広い長身の金色染めの髪をした婦人とおぼしきふたりが腕を組んで通り過ぎ、たった今、俺が閉めた店のガラス戸を開いて入っていった。

 記憶というやつ、フラッシュライトのようにひらめいて、蘇るのは面妖だ。
 それにしてもだ、酒を飲むことは、どうして通りから通りへと歩き続けることになるのだろう。

 『夢や』に行って、「妙子さん」を確認することになった。この店には、前に一度、来たことがあったのだ。
 間をおいていったのだが、おかみは俺を覚えていた。
 ビールを一本飲み終えようとしたときに、おかみはカウンターの端に座っていた客を、手の平を上にして開いて指し、
「妙子さんに、ごあいさつは?」と、言った。

 俺は、最初、「妙子さん」が、どちら様であるかすらわからなかった。
 酔っぱらっていると、思いがけないことをする。
 あとでつまびらかに聞き、黒い気分になりもする。しかし自分に関することは聞かなければすまない。

 『夢や』で、俺は、妙子さんを、くどいたのだそうだ。こういうことは今までにも何度かあって、その本人に素面で対面すると、人に聞く俺のその時というのは、嘘だろうとしか思えない時がしばしばあった。

 なんでこの人にカラめたのだろう、と、いった人に、勿論、先方に越度は無いのだが、俺は心中いぶかしがりながら、軽くワビるのが、しばしばだった。「軽く」というのは、やっぱり、心中、本当だろうか、と、疑っているからで、俺の内面に属する。あらわしたところは、言うまでもなくまじめにワビる。

 妙子さんは、すでに酔っていて、フニャリとしている。
 その酔いは、薄く、レースを、かむったようなものだろう。だから、フニャリとしているのは、「酔い」とは、関係が無いかもしれない。トンボメガネのような、「異」な感のする、大きめのメガネをかけている。

 妙子さんを眺めていると、フニャフニャした表情や、ヘラヘラした笑いかたや、上体を揺らせ続けるところが、植物に似ている。
 シラフにても納得できる判断を持ちつつ、その時の俺は、正しく酔ったのだと確信した。

 『夢や』は、飛行場とはまったく逆の方向にあるのだが、空路の真下にあたっているのだろう、突然、頭上から、震動そのもののような轟きがして薄暗い照明の店の内部が、皺をつくってヨジれるように見える瞬間がある。

 三角形の黄色いカウンターや、葡萄色の壁、それにガラス棚が、胃壁のような皺をつくる。酔った目には、大いなる胃の中にいる気になる。

 妙子さんは、トンボメガネの下から、指を入れて、瞼をこすった。

「ねえ、おはん、おはん、まだ、私を誘ってみたい?」

 妙子さんは、こちらに体をねじって、そう言った。
 カウンターにはすむかいに向き合ってみると、薄いと思われた妙子さんを包んでいるものが、薄いのか、濃いのか、わからなくなった。俺は妙子さんをまねしたわけではないが、ヘラヘラと、笑った。

「男は、信用でけんわ。酔っぱらうと、男は、信用でくうやつと、信用でけんやつとが、はっきい、すうわね。で、99.99パーセントは信用、でけんわ。0.000..」

 小数点、何位以下かの数を、ムニャムニャと妙子さんは言いかけてやめ、それからグラスを少しなめて続けた。

「・・・パーセントの、男は、信用でくうかもしれん。ばってん、それは、ただの、ほんのこての、酔っぱらいなとなぁ。男だって、自分でそう思うでしょ。おはん、自分で判定なさい。あんクドキを、再現すう勇気ある?」

「ありまんがな」、と、俺は自分の優柔な笑いを、今はハッキリ卑屈に思いつつ、しかし胸躍るところを感じつつ、言った。

 俺はできるだけ速やかに、妙子さんと同じほどな深みまで酔うことに決めた。
 しかし、酔ったからといって、この俺に善人になる自信は、丸でなかったのだが。

「おはんも、はやかとこ酔っぱらってしまいなされい。妙子さんは、ああ言うけどね、それは妙子さんが優しか人やからのはなしでね、おはんな、ひたすら酔ってくれれば、それで、よかとな。」

 おかみは、俺のしたごころを読んだように言って、俺が飲みほしたビールの空き瓶を、カウンターから片づけた。そうして、ガラス棚から、灰色の瓶をとりだした。
 それは、こぶりの瓢箪のような、腰にくびれのあるビンだった。俺はその瓶に見覚えがあったが、なんという酒であるかは思い出せなかった。

 俺の目の前に置いた、新しいグラスに、おかみは気前よく、グラスのヘリと水平になるまでに、その酒をついだ。芳香がした。思わず深く息を吸った。見れば、おかみも半眼を、とじて、息を吸い込んでいる。

 その匂いにも、覚えはあった。しかし、すぐには、何の匂いであるかは、言うことができなかった。その記憶は、そんなに最近のものではない。きっと、なにかの花の香だろう。

「おはん、酔っぱらうと、ずいぶん気前が良くなるうね。こん、お酒のせいかしら」と、おかみが言った。

 俺は前に来たときにも、この酒を飲んだらしい。
 そして、ゾウキンのように、グタグタに酔って、釣銭を受けとらずに、帰ったか、したのだろう。
 しかし、なんだか、この芳香の記憶は、それよりも、もっと昔のそれのような気がするのだが。俺は、かすかに藍色をした、グラスの液体を見つめた。

 妙子さんが、ゆっくりと頭を左右に振って、何かをさがすような、素振りをした。
 その時、なんだか、その芳香が、妙子さんから、かもし出されたような気がした。

「よか、においね。こん、におい。昔に見た、夢んごとねえ。どうしてかしら、急に、おだまきの、匂いがするのよ」

 その妙子さんの声で、俺にもその匂いの記憶が、奈辺にあったものか、思い起こすことができた。確かにそれはミヤマオダマキの花の匂いに似ていた。

「これは花じゃないわ、こちらのお酒なの」

 おかみは、瓢箪のような、灰色の瓶を、顔のあたりまで持ち上げて、妙子さんに見せた。その瓶には、ラベルらしきものは見あたらない。この前に来たおりに、どうしてこの酒を飲むことになったのか、俺にはわからなかった。

 その酒を、口にふくむと、かき消すように、匂いは消えた。暗い部屋から、急に日盛りの、ただ中に出たときのように、軽い、目まいがした。飲みこんだ、酒の中に、自分がいた。
 喉は、暗くて細い、そして、長い長い、漏斗になって、俺は、自分がその底に向けて、流れ落ちるのを覚えた。
 漏斗の先は、地の底で、弧を描いて、天を向いていたようだ。俺は、流れ落ちた先で、フワリと体が浮いて、正気に戻った。

「子どもの時に、この花の下で、眠ったことがありますの」

 妙子さんは、上体を揺らせながら、顔を、天井に向けた。芳香が、上から降り注ぐように、感じられたのだろう。

「いっぱい、どうですか」と、俺は、聞いた。
「ありがと、いいの?では、少しだけ、そのグラスのを、ここに」

 妙子さんは、右手を、俺のほうに、さし出した。俺は、とまどったが、妙子さんの手の平の上で、グラスをかたむけた。薄い、藍色の液体は、妙子さんのまるめた手のひらにしたたり、照明のひとつが、映り込んで、蛍のように揺れた。

 妙子さんは、右手のしづくを、香水を、そうするように、胸の上にふりかけた。それからその胸を抱くようにして、カウンターに、肘をついた。

 俺は、できるだけ速やかに、妙子さんと同じほどな、深みまで、酔うことに、再び決めた。
 そして、その一口の酒精がもたらした、めまいのような、揺れる幻燈の絵の中に運び込まれるような感じから察して、手の中のグラスだけで、その深さに行きつけそうな気がした。

「ねえ、ママ、このかた、あたしのこと、どれほどご存じ?」

 おかみは黙ったまま首を横にふった。そして、こう言った。

「こん、お客さあは、気前がよか人ど。・・・・・・・・ばってん、もうすぐ寝もす・・・・・・・」

・・・・ああ、本当に、よか匂いがした。

 不意に、ロルカの、リフレインが、耳元で、囁かれた気がして、俺は飛びあがる。

 『朝の五時、朝の五時、朝の、きっかり五時』・・・・・・

 カーテンを引けば窓には、巨大な白い花のような朝の光。
2023/04/01 01:51|短文TB:0CM:0

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